どうもどうも!
以前、知人と他愛もない話をしていたとき、神様と仏様の話になりました。
知人が言うには、広義として「神様」という言葉があって、神様の中に「仏様」がいると言うのです。
私は「違う」と思ったのですが、「絶対に違う」と言い切る根拠を持ち合わせていませんでした。それで、後日いろいろと調べてみると、やはり知人の解釈は間違っていました。
という訳で、今回は「神様と仏様の違い」について、ご紹介させて頂きますね。
※今回の記事中の情報は、下記の文献を参考にしています。
【参考文献】
- 神事・仏事のしきたり 著:渋谷申博(日本文芸社)
- 日本の神様がよくわかる本 著:戸部民夫(PHP研究所)
- 神社と神様がよ~くわかる本 著:藤本頼生(秀和システム)
神様と仏様は何が違うの?
神様と仏様の違いを簡単に説明すると、以下のような感じになります。
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- 神様:自然などを神格化したもの。風土や生活に宿る霊性。
- 仏様:修行によって真理に目覚めた者。体得した完全な知慧(ちえ)で人々を救済する人
(※知慧とは、煩悩を消して、真理を見極める認識力のこと)
極端な言い方をすれば、どんなモノであっても、それを神と仰げば、それが神様ということになります。
ですから、自然現象そのものを神格化することもありますし、文化的な活動に、精霊や守護神がいると考えれば、それが神様になるということです。
あと、人間を神格化する場合もありますので、人間を神様と崇める場合もあります。そのため、「私は神だ!」と言えば、とりあえず神様になれますので、次から次へと「新興宗教」が生まれるという訳ですね。
それでは、神様の対象は多岐に渡りから、まとめてみますね。
・動物神・植物神・日神・月神・風神・雨神・山神・海神・水神・火神・雷神・など
◆生活神(文化的な活動の精霊・守護神)
・狩猟の神・航海の神・学問の神・戦いの神・農業の神・漁業の神・商業の神・工業の神・など
◆人間神(人間を神格化)
・英雄・秀でた才能を持った者・自己犠牲者・非業の死を遂げた者・怨霊など
一方、仏様とは、厳しい修行によって「真理」に目覚めた者のことです。ちなみに、真理とは、正しい物事の筋道で、どのようなときも変わることの無いモノのことです。
修行というモノを自らの意志でするのは、人間だけです。そのため、仏様は人間だけが対象となります。
なお、仏様といっても、悟りを開いた「如来(にょらい)」と呼ばれる人もいれば、悟りの境地に至っていない「菩薩(ぼさつ)」と呼ばれる人もいます。
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- 釈迦如来(しゃかにょらい)
- 阿弥陀如来(あみだにょらい)
- 薬師如来(やくしにょらい)
- 五智如来(ごちにょらい)
- 多宝如来(たほうにょらい)
- 毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)
など…
◆菩薩
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- 文殊菩薩(もんじゅぼさつ)
- 普賢菩薩(ふげんぼさつ)
- 薬王菩薩(やくおうぼさつ)
- 薬上菩薩(やくじょうぼさつ)
- 地蔵菩薩(じぞうぼさつ)
- 観音菩薩(かんのんぼさつ)
など…
神様の場合は、他人がどう思っても、「私は神だ!」または「あの人は神だ」と言えば、その瞬間から神ということになってしまいます。要するに、自薦や他薦を問わないということですね。これは極端な言い方をしただけであって、神様を冒涜するつもりはないですョ。
一方、仏様になるには、厳しい修行に耐えて菩薩や如来となり、人々から崇拝される必要がありますから、簡単になれる訳ではありません。
という訳で、神様と仏様の違いはイメージして頂けたかと思いますので、次の章では、神様と仏様に関連することについて見ていきましょう。
神事と仏事の違いについて
神道の行事。神様をお祀(まつ)りしたり、祈願すること。◆仏事とは
仏教の行事。仏様を供養したり、故人の菩薩を祈ること。
神事と仏事を簡単に説明すると、上記のようになりますけど、日本の宗教は、世界から見ると少し特殊です。
日本では、仏教が伝来してから明治時代になるまでの約1300年間、互いに影響を与えながら発展して、そこから日本の文化・風俗・習慣が形成されてきました。そのため、キリスト教と儒教のように、神道と仏教を明確に分けることは出来ないんです。
それでは、その神道と仏教について、簡単に違いを見てみましょう。
神道について
神道には、開祖に当たる人もいなければ、発祥の地というものもありません。
神道の起源はハッキリしないのですが、日本各地で成立した信仰が、時代と共に緩やかに統合されていったモノと考えられています。そのため、神道は長い間、地域色が残されてきました。
なお、神様の性質も様々で、上記の章で説明した通り、太陽・山・動物・英雄など多岐に渡っています。ですから、日本という風土に潜む霊性を神格化したモノ…ということになります。
仏教について
仏教が開かれたとき、仏と言えば、開祖のお釈迦様のことでした。お釈迦様は、瞑想によって真理を悟り、人々から仏陀(ブッダ)・如来と呼ばれて尊び崇(あが)められてきました。
ただ、真理は、厳しい修行によって得ることが出来るモノです。そのため、お釈迦様以外にも真理を悟った人がいるに違いないと考えられ、阿弥陀如来や薬師如来など、様々な仏様が説かれるようになりました。
なお、あえて仏にならず、現世に留まって人々を救済する観音・地蔵などの菩薩も、信仰の対象となっています。
あと、インド古来の神々やアジア各地の信仰も吸収して、四天王や不動明王など、多くの仏様が説かれるようになりました。
という訳で、神道と仏教について説明させて頂きました。ただ、どちらも、最初から、現在のような神事や仏事が行われていた訳ではありません。
ですから、次の章では、神事と仏事の流れを説明させて頂きますね。
仏事の流れ
お釈迦様の生誕は、いくつかの説があります。
- 紀元前463年~383年頃
- 紀元前566年~486年頃
- 紀元前624年~544年頃
いずれにしましても、お釈迦様は35歳で悟りを開かれて、80歳で入滅したとされています。
ですから、もし紀元前463年~383年頃が正しいとするなら、仏教は紀元前498年頃に開かれたことになりますよね。でも、仏事も、そのときから始まったのかというと、そうではないんです。
最初の頃は、宗教儀礼のようなモノは行われおらず、お釈迦様が悟られた仏法を学んで、修行することを目的とする団体という感じでした。
でも、教団が拡大していくに従って、教理や修行生活も変化していったのです。まず、お釈迦様(仏陀)が神格化されるようになって、不可思議な神通力を得た存在として信じられるようになりました。
そして、超人的な仏様に、苦しい現世からの救済を願うようになったのですが、これが仏事の始まりです。
現在、仏事と言うと、お葬式をイメージしますよね。でも、初期の仏教教団では、僧侶(出家者)が葬儀を主催することはありませんでした。その理由は、お釈迦様が「俗事に関わって、修行を疎かにしてはいけない」と説いていたからです。
でも、現在では、仏教とお葬式は密接に関係していますよね。
そのようになったのは、阿弥陀如来のおられる極楽浄土へ行けるように…と願う人々の思いが、仏教儀礼を普及させていったからです。
それでは、次は神事の流れについて見てみましょう。
神事の流れ
神道がいつ頃から始まったのかは、神道の起源をどう捉えるか…によって違ってきます。
例えば、神道には、蛇神信仰や巨石信仰があります。
縄文時代も、発掘された遺物から、蛇や石に対する信仰があったと推察されていますけど、その頃の人々が抱いていた信仰を神道と呼ぶべきなのか…。
同じように、古墳時代や弥生時代の信仰にも、神道との共通点がありますけど、その頃の信仰を神道と呼ぶべきなのか…。
神道は、そうした古代からの遺産を受け継ぎつつ、さらに大陸文化の要素も加えながら、ゆっくり成立していったのではないか…と見られています。
仏教が日本に公式に伝えられたのは、6世紀半ばだと言われています。その頃には、神道の基礎は成立していたと考えられていますけど、常設の社殿などは無く、お祭りのときだけ、神籬(ひもろぎ)と呼ばれる神様が宿る施設が設けられていました。
でも、仏教徒は、壮麗な堂塔を建てて、儀礼をするときは、きらびやかな衣装や道具を使っていました。
それまでの日本には、板葺きや草葺きの建物しかありませんでした。ですから、お寺の絢爛さと比較したとき、人々の驚きは尋常なものではなかったと思われますし、異国へのあこがれもかき立てられたのではないでしょうか。
という訳で、仏教が伝来したという理由だけではないとは思われますが、その頃から、神道も常設の社殿を持つようになり、儀礼の形式も、それに応じて整えられていきました。
そのようにして成立したのが、神社などで現在見られる神事だと考えられています。
最後に
いかがでしたでしょうか。神様と仏様の違いを簡単に説明すると、神様は何かを神格化したもので、仏様は厳しい修行を経て真理を悟った人ということです。
あと、神様に対しては、今ある状況を何とかして欲しい…と願いますけど、仏様には、死んだあと極楽浄土に往けるようにして欲しい…と願うものであるということです。
何となく、似ていますけど、微妙な違いがありますよね。
いずれも、願うことには違いがないですけど、願いが叶うかどうかは、自分の努力が実を結ぶかどうかだと思います。
ですから、私も日頃の鍛錬を怠らないようにしたいと思います。